京都東山ウォーク 2014/09/30



新日吉神宮、剣神社


方広寺のあと、東山歩きは・・・


 江戸時代には、豊臣家や秀吉に関するものはすべて壊され、禁止された。


 しかし京都での太閤さん人気は高く、秀吉を隠れて崇拝する人もいたという。


 まるで「隠れキリシタン」のように、密かに太閤さんを信仰する人々が集ったのが新日吉神宮だった。


「いまひえじんぐう」と読みます。


 後白河法皇が「法住寺殿」を造営し、厄除けのため、比叡山東坂本の「日吉山王七社」を勧請(神仏の分霊を他の場所に移し、祀ること)したのが始まり。


平安時代から2度の“引っ越し”を経験した、由緒正しき社です。


酒造、医薬、縁結びの神です。




孫の縁結びを願う。


見えるか?


望遠でなんとか。


ごていねいに双眼鏡まで設置されていた。


 京都市指定保存樹に指定されている「スダジイ(ブナ科シイ属の常緑広葉樹)」。 成長の遅い木であるため、幹周(幹の太さ)は約4mほどだが、実は樹齢は500〜800年。今なお成長しているスダジイは、秀吉や徳川の時代から現代までをずっと見つめ続けてきたという。


 新日吉神宮が現在の場所に移築されたときには、すでに立派に成長していたことになるため、木を避けるように建築した“自然に優しい”神社なのかもしれない。



両側に狛犬ならぬ、あ・うんの「狛猿」。


 神猿は、なぜか捕らえられるように金網に入れられた姿だが、その理由は2つある。 ひとつは「神の使いが盗まれてしまわないように」。そしてもうひとつは「猿たちが夜な夜な動き出すのを防ぐため」。


太閤さんが猿だから、守り神は猿。


楼門を裏から。










また神社。




剣さん(つるぎさん)の愛称で呼ばれる。


とくに子供の疳虫封じ祈願で知られる。






この神社の祈願絵馬には大きく「トビウオ」の絵が!


これは珍しい!

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