堅田湖族の郷巡りウォーク 2018/06/08



浮御堂、光徳寺、伊豆神社、祥瑞寺

































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阿波野青畝句碑 「五月雨の雨垂ばかり浮御堂」
 五月雨に濡れた浮御堂の美しさを詠んだ













堅田源兵衛

浄土真宗中興の祖である蓮如は、比叡山延暦寺から迫害を受け、大津に滞在した時期がある。その間、蓮如は数年堅田に滞在し、堅田は町を挙げて延暦寺と戦って負けている(堅田大責)。比叡山に近い堅田の地を諦めた蓮如は越前に向かい、宗祖親鸞の木像を三井寺に預けた。

その後京都に戻った蓮如は、人の首を二つ差し出すなら木像を返そうと三井寺から言われる。それを聞いた堅田の漁師源兵衛は、父親を説得して、自分の首をはねてもらう。源兵衛の父親は、息子の首を三井寺に持って行き、自分の首もはねてくれと言った。

驚いた三井寺は親鸞の木像を返し、蓮如は「真宗復興の祖は源兵衛である」と涙したという。その後源兵衛の父親は巡礼の旅に出て、旅先の広島県福山市で亡くなっている。源兵衛の首は本堅田の光徳寺に祀られた。(というのが、光徳寺に伝わる話である。)













本日は休みのため、御首級は拝見できないとのこと。
































室町時代、臨済宗大徳寺派。このお寺は、誰もが知っている一休さんが、青年時代に修業した場所として有名なお寺です。























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